朝晩の冷たい空気や、日々早まる日没時間によって本格的な冬の訪れを感じさせます。
赤黄色に鮮やかな紅葉は各地でピークを迎え、徐々に落葉で地面が彩られていきます。葉を失くした木々の佇まいがまた一段と寒さを強めるようです。
夏や秋の季節に見られた生命の活気は徐々に落ち着き、冷え冷えとした、そして枯れた世界が広がります。
こうした風景は、日本人特有の美意識である“侘び寂び”を思い起こさせます。
元々、侘び寂びは、寂しさや貧しさといったどちらかというと負の精神性を指すものだったとされますが、茶道や能といった独自の文化が発展を遂げた中世の日本において美的価値を高める概念として確立されました。
日本の四季においては、やはり晩秋から冬にかけてのこの時期は、侘び寂びをいっそう感じることのできる季節です。草木が枯れ朽ちていき、自然界のあらゆる生命が終わりを迎える時節であり、万物が無常であることを強く感じさせます。こうした何か小さなものが終わりゆく些細な変化に、日本人は古くから感知しようとしてきました。そして自然界の変化に自身の一生を重ね、人生の儚さを憂いながらも、そうした精神を歌に詠んだり、花を生けたりするなどして表現されたものが、芸術へと昇華されてきました。それが、日本人特有の感覚であり、侘び寂びの精神です。
藤原定家が詠んだ短歌は、侘び寂びを想起させる代表的なものであります。
"見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮れ"
"All around, no flowers in bloom. Nor marble leaves in glare, A solitary flisherman's house hut alone. On the twilight shore. Of this autumn eve."
気の持ちよう、という言葉があります。侘び寂びとは、そのニュアンスにも近いかもしれません。私たちの周り、特に自然界には、コントロールできないものが沢山あります。枯れゆくもの、朽ちゆくものを受け容れ、美しさを見出そうとする。そうした前向きなあきらめともとれる精神は、時に私たちの心にゆとりを与えてくれます。