風が知らせてくれるもの

10月を迎え、昼間はまさに残暑の陽射しですが、もうすぐそばに秋の到来を期待してしまいます。
日の沈んだ後に外を歩いているときなど、ふと吹き抜ける風からその気配を感じます。
秋の風はどこか寂しく、感傷的な吹き方をするものです。束の間の季節ともいえる秋に吹く風に、日本人は古くから心を掴まれてきました。
 

風狂の旅人と言われる松尾芭蕉の「おくのほそ道」では、この秋風を詠んだ俳句がいくつか登場します。

“塚も動けわが泣く声は秋の風” (金沢の段)
「動くはずのない塚よ動いてくれ、私の悲哀の声は瀟殺たる秋風と和し、その風が私の傷心を運んで塚の上を吹きめぐる。」
自身は会ったことがないが、芭蕉を長きにわたり慕っていた者の死をひどく悼んでいる。塚は墳墓のこと。
(瀟殺/しょうさつ:秋のもの寂しい様子)
 
“あかあかと日はつれなくも秋の風”(金沢の段)
「もう秋だというのに、夕日はそれも知らない様子で旅行く私の上に無情にも赤々と照り付ける。残暑は厳しいが、目に見えぬ風の訪れに、やはり秋の風を感じられるものだ」
 
“しをらしき名や小松吹く萩薄”(金沢の段)
「(立ち寄った小松という地名に対して)何としおらしい名前であろうか。小松の地で吹く風が、萩や薄をやさしく吹きなびかせる」
どこか優しい地名の小松という地で、萩や薄がなびく様子を見て旅の疲れが癒されていく様子。
 
 “よもすがら秋風聞くや裏の山”(全昌寺の段)
「一晩中、眠りにつけずに、裏山の木立の上を吹きわたる蕭々たる秋風の音を聞き明かしたことだ。」
秋夜の孤独な旅人の感情を尽くしている。
(蕭々/しょうしょう:もの寂しく感じられるさま)
 
 
早秋あるいは晩秋なのか、そのタイミングで印象の変わる秋の風ですが、いつ吹いても寂しさや温もりを感じさせる情緒があります。
風は、時に香りを運んできたり、音を聞かせたり、肌に触れたりと、あらゆる方法で私たちに何かを知らせてくれます。それは季節や感情の移り変わりなど、その風を受ける人それぞれに異なることでしょう。
 
今回取り上げた4つの俳句。どれも描く時間や場所はそれぞれに異なります。その情景を想像してみてください。あるいは近しい情景に居合わせると、芭蕉の風雅に生きる精神に思いを馳せることができるかもしれません。そして風が何を知らせてくれるのか感じ取ってみてください。

 

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風狂がかたちづくるもの

失われつつあるかつての日本の精神をヒントに、一見だれも気に留めないようなワンシーンを切り取り、既成概念にとらわれない自由なかたちで表現します。

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