大晦日や新年に味わうもの

大晦日から新年へとまた次の年を迎えます。毎年、家族や大切な人と、職場の人と、あるいはおひとりで、その時を迎えます。そうした節目には古来から続く風習が今でも多く見受けられます。年末年始には何かとやることが多く、とりあえずやらなきゃという感じがありますが、そうした風習のルーツや意味を深く理解されている方はどのくらいいらっしゃるものでしょうか。
今回は年末年始に味わえるものに焦点を当て、それらの由来や特徴をみてみたいと思います。

その前に、個人的に大晦日という漢字の由来が気になったので、少しだけその話を。
旧暦では毎月の最終日は「みそか」と呼ばれており、かつては「三十日」と書いてみそかと読んでいたようです。また、「晦」は“つごもり”と読み、月が隠れて見えない様子を意味します。月の満ち欠けを基にしている旧暦では、「晦日」が月末を指していました。そして1年のうち最終月である12月の晦日を「大晦日」と呼ぶようになったそうです。

その大晦日をはじめ、年末年始には美味しいものが食卓に並ぶ印象がありますね。大体決まったものが並ぶことも多く、それらには何かしらのルーツが存在しています。

まずは、年末の縁起物として、年越しそば。
そばの実の栄養価がとても高いことや、厳しい気候下でも力強く育つことから、健康祈願につながっています。細く長い蕎麦の形状にあやかって長寿を願うものでもあります。また、かつて江戸時代の金細工職人が、金の加工中に飛び散った金を集めるために、そば粉を団子状にしてその団子に金粉や銀粉をくっつけ、金粉を集めていました。そのため、そばは金運に恵まれる縁起物ともされています。

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つづいて、1年の邪気を払い、さらに寿命をのばす力があるという御屠蘇(おとそ)。
屠蘇散(とそさん)とよばれる数種類の生薬(しょうやく)を細かく刻んで調合し、お酒やみりんに浸してからいただくものです。三が日にこれを飲むと病気にならないと古くから伝えられてきました。
屠蘇という言葉自体にも、邪気を取り除きからだや心をよみがえらせる、という意味があります。
正月に人が集まった際は、年少者から順番に飲むしきたりがあり、これは年少者の若さを年長者が飲み受けることで元気をもらうためだという説があります。
今ではオンラインなどで御屠蘇の素が販売されており、手軽に作ることができそうです。
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おせち料理。
そもそもは、「御節供(おせちく)」という言葉に由来し、豊作を感謝して神様にお供えするものでした。その後、季節の変わり目における節句の御祝い料理という位置づけになりました。また、今日のように豪華になったのは戦後のことのようです。
それぞれの料理に意味があり、子孫繁栄を願った数の子や、長寿を願う車エビなどがあり、古くから縁起の良いとされる奇数の数で重箱に詰められることが多いです。

美味しいですが喉に詰まらせないように注意が必要な餅。
お米は、五穀豊穣の神様から与えられる神聖な食べ物とされます。そのお米によって作られる御餅も神聖なもので、お正月に歳神様を迎え入れるための依り代(神霊の寄り付くもの)として、「鏡餅」が床の間や神棚などに供えられます。
鏡餅と言われる所以は、神社などに置かれる丸い鏡をかたどって、餅を丸く成形していることにあります。鏡餅がなぜ2段に重ねられているかと言うと、諸説ありますが、円満に年を重ねるという意味もあるようです。
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日本ならではのならわしの中には、名前だけ、形だけになっていることが個人的には多く、少し反省したところです。今回は、年末年始に味わうものに焦点を当てましたが、それぞれの背景を意識してみると、それらのありがたみをよりいっそう感じながら、美味しく頂くことができそうです。
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失われつつあるかつての日本の精神をヒントに、一見だれも気に留めないようなワンシーンを切り取り、既成概念にとらわれない自由なかたちで表現します。

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