SBNRから思い起こされるスピリチュアルな考え方

日本語はSBNRという言葉をご存知でしょうか。
近年米国で話題となり、最近は日本でも耳にしたことがある人がいるかもしれません。正式名称は、Spiritual But Not Religious。簡単に言うと、特定の宗教を信仰していないが、目にはみえない精神的な豊かさを求める人を指します。
長年無宗教と謳われてきた日本人の中にはSBNRに親和性を感じる方が多いようです。
この背景は様々考えられますが、ここでは、日本で古くから信仰される神道とアニミズムという側面に焦点を当てつつ、近年SBNRが価値を見出されてきている理由を考えてみます。

 

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神道については馴染みがあまりないという人もいるかもしれませんが、日本には約8万社もの神社があるくらいですので、日本ならではの宗教といえます。
ただ宗教といっても、他宗教の多くと異なり、教義や教典といったものが神道には無く、より柔軟かつ平和的な印象があります。八百万の神といわれるように、日本ではたくさんの神様が共存していることからもそう言えます。
神道においては、山や岩、木などのあらゆる自然物に神様が宿り、それらを礼拝の対象としてきました。これがアニミズムという概念です。

では、SBNRと神道に共通するものを考えてみます。
日本ではスピリチュアルと聞くと何となく胡散臭い印象を受けるでしょうか。スピリチュアルの直訳は、‟精神的な”・‟霊的な”です。目にはみえないものなので抵抗がある人もいるかもしれません。
しかしながら、これこそがSBNRと神道の共通点だと個人的には感じています。
例を挙げると、国を問わず折に触れて自分の手を合わせることがありますね。その理由や方法は国によって様々ですが、身近な日本人の例で言うと、新年の初詣や自宅近くのお地蔵様の前、食事の前後などが挙げられます。
何となくそうしている人も多いと思いますが、目にはみえないものに対して自然と手を合わせ、祈ったり、感謝したりしています。

 

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こうしたSBNRやアニミズムといったスピリチュアルなものが現代にもたらす意味は何なのでしょうか。
古代の人々は自然物に神が宿ると考え、自然からの恵みである食物を頂く際には感謝の意味で手を合わせ、反対に天災が起きれば神が宿る自然を怒らせたとして畏れ、祈りのために手を合わせてきました。
現在、地球環境を守るためにサスティナブルやエコ〇〇など様々なアイデアが生まれていますが、自然世界には神様が宿るという古代からの考え方に立ち返ってみるのも面白い手かもしれません。

 

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失われつつあるかつての日本の精神をヒントに、一見だれも気に留めないようなワンシーンを切り取り、既成概念にとらわれない自由なかたちで表現します。

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