草花を生けること

梅の花が紅白鮮やかに咲き、桜の木もつぼみをつけ始め、春の到来をすぐそこに感じます。
梅や桜の花に限らず、春になると自然界では黄色や緑色など様々な彩りをみせてくれます。街の花屋に行けば、季節の花の入荷を知らせてもらい、生花の1本でも買って自宅に飾る気分にもなります。
 
草木花を愛する心は、日本だけでなく古今東西に共通する美しい精神です。
日本では、その豊かな気候と植生の種類の多さから、古代よりその美しさに目が向けられ、和歌や絵画で表現されたり、様々な装飾のモチーフとされたり、日本人の美的感覚を説明する上で不可欠なものといえます。
そうした花を愛する心は、生け花(華道)という伝統芸術のかたちで今日まで発展してきました。生け花の起源は、6世紀に仏教僧が仏前に花を供えたこととされ、その後16世紀頃以降、よりいっそう盛んになり伝統芸術と言われるまでに至りました。
生け花の流派は現在約3千ほどあり、流派ごとに花の生け方はさまざまであるものの、植物そのものの美を表現することが基本にあります。はさみで枝を切り長短をつけたり、葉の形を整えたりと、自然界に美しく生きる本来の姿を花器上で表現することが生け花の基本精神といえます。
 
そうは言っても、生け花(華道)を教わらずとも、自宅のインテリアとして生ける花も出来得る限り美しく飾りたいものです。
花を生ける上で大切なのは、“自然界で生きる美しい姿を映すこと”。
たとえば、花も顔をもち、正面があります。生ける前には花の顔の正面がどこなのかを良く見て判断し、最も美しく見える角度を見つけます。
 
植物に差しこむ光もまた、その見え方と密接に関係しています。
例えば、日本のもみじは黄~朱~赤と様々に色を持ちますが、秋の弱い日差しによって、それぞれ独特な美しさや色味のグラデーションを見せてくれます。夏の強い日差しでは同じようには見えないでしょう。花を生ける上でも、室内の調光や自然光の入り方に注意することで、正しく自然を映し出すこととなり、本来あるべき美しい姿で生けることができます。
 
“自然界で生きる美しい姿を映すこと”。これには、自然を良く観察し、知ることが求められます。自然との距離が広がりつつある現代の暮らしにおいては、花を生けることが自然界に心をよせる貴重な機会の1つになるかもしれません。


 
一方で、花を美しく生けるには、丁寧かつ地道なお手入れも必要です。何かと多忙にみえる私たちの暮らしでは、そうしたひと手間をかけることが中々難しいかもしれませんが、比較的簡単に実践できるものを紹介します。
 
【飾る前の工夫】
 □葉の下処理:葉が水につかると水が腐りやすくなるので、下の方の葉はとりのぞく
 □水切り:バケツなどにためた水の中などで茎を斜めにカットする。
 (水中でカットすることで導管に空気が入らないので、吸水しやすくなる。斜めにカットするのは、吸水面積を大きくするため。)
【日頃のケア】
 □水を清潔に保つ:水は放っておくとバクテリアが発生し、それが導管に詰まり、吸水が悪くなります。水は毎日替え、茎のぬめりも指で落とす。花器も中性洗剤やスポンジできれいに流します。
 □切り戻し:水換えの時に、茎を1㎝ほどカットし切り口を新しくする。バクテリアやアクで詰まった導管が切り落とされ、吸水が良くなる。

私たちが手にする草花たちは、元々は大地に根を張ることで栄養を得ています。その大地を離れ、私たちの暮らしを豊かなものにしてくれています。
そう考えると、少しの手間をかけるべきであり、それが本来の美しい姿を保つことにつながります。

草花は、人間には作り出せない有機的な美をみせてくれます。春は若く伸びやかに、夏は生命の満ち足りを、秋は枯れ散りゆく淋しさを、冬は春への予感を感じさせます。

花を生けることは、そうした自然界の変わりゆく繊細な美に心をよせることに通じています。

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失われつつあるかつての日本の精神をヒントに、一見だれも気に留めないようなワンシーンを切り取り、既成概念にとらわれない自由なかたちで表現します。

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